アニメ三銃士

18話:ダルタニャンのお葬式

■放送日:1988年3月18日 / 演出:高本宣弘 / 作画監督:金子紀男

■Story■
ダルタニャン一行はカレーの港の手前までやって来た。
アトスの提案で、ダルタニャンは三銃士と別れ、独りでカレーに向かうことになった。残った三銃士は護衛隊を欺くため、村の教会でダルタニャンのニセ葬式を行う。
追跡してきたロシュフォールたち護衛隊はニセ葬式を信じ込み、カレーとは別の方向に進んだ三銃士を追いかけた。


しかし、続いてやって来たコンスタンスとジャンもニセ葬式を信じてしまい、ダルタニャンの墓の前で泣き崩れる。それでも悲しみを振り切り、三銃士に渡航許可証を渡すべカレーへと向かった。


そして、続いてやって来たミレディーだけはダルタニャンの死を不審に思い、教会の司祭に催眠術をかけて墓を掘り起こさせる。掘り出された棺の中にあったのはカカシだった。
ダルタニャンが生きていることを知ったミレディーはカレーへと向かい、途中でコンスタンスたちの馬車に追いつく。


コンスタンスは渡航許可証を返すようミレディーに脅される。
一度はやむなく許可証を渡してしまうが、コピーとジャンの活躍で取り返し、さらにミレディーの馬車を奪ってカレーへと向かった。


その頃、ダルタニャンはカレーの港に着いていた。しかし、出国禁止令のため船に乗れないことを知り、途方に暮れるのだった。


■Explanation■
今まで旅を共にしていたダルタニャンと三銃士が、ここで別れることになる。
別れ際は例によって「一人はみんなのために」を決める4人。以降はロンドンに渡るダルタニャンと、フランスに残った三銃士の両側からドラマが描かれる。


三銃士がダルタニャンを助けるために仕組んだニセ葬式。
単純なロシュフォールたちが引っかかるのはお約束。さらには別の方向へ行った三銃士を追いかけるのも予想通り。ロシュフォールはどこか憎めないんだけど、やっぱりマヌケだ。

しかし、コンスタンスやミレディーまでも追いかけてくるのは想定外。
コンスタンスとジャンはダルタニャンの死に号泣する。そんな二人も涙を拭き、任務を引き継いだであろう三銃士を追いかける。
そして、追いかけて来たミレディーも立ち向かう逞しさをみせる。今まではダルタニャンに頼ってばかりの二人だったけど、イザとなったら強いのだ。


ところで、ここでコンスタンスたちと対峙したミレディーは葬式が偽物だったこと、つまりダルタニャンが死んでいないことを知っていたんだけど。何かの拍子でミレディーがこの事をコンスタンスに喋ってたら、この後の展開はどうなったんだろう。


一方、カレーの港で足止めを食らうダルタニャン。続きが非常に気になるところだけど…。
実は当時、僕は学研「6年の学習」に先行連載されていたノベライズ版(のような物)を読んでいたんだけど、その物語はココで終わってしまったのだ!(6年生は卒業してしまうため)
「ダルタニャンは無事ロンドンにたどりつけるのか?続きはテレビで見てちょーだい!」という言葉に、小学校の卒業を間近に控えた僕はショックを受けたっけ。


■Dialogue/Monologue■

ジャン「ダルタニャンが死んじゃうなんて。神様は何をしていたんだ」
コンスタンス「こんなことになるんなら、もっと優しくしてあげるんだったわ」

ダルタニャンの墓前で悲しむ二人。コンスタンスはダルタニャンのアプローチを時に拒み、時に「年下の坊や」だの「ただの同居人」だの言ってきたことへの後悔もあるのかも。
あとありがちだけど「失って初めて、本当の想いに気づいた」とか。


■Next Episode ~次回予告~■

ミレディー「私(わたくし)、ミレディーで御座います。
ダルタニャンがいくら若いとはいえ、ドーバー海峡を泳いで渡れるわけもなく、
渡航許可証が手に入らなければ港で呆けてるしか御座いません。
その隙に私は一足先にイギリスへ。オホホホホホホホホ!…オホン。
次回『アニメ三銃士』《港のすれちがい》
ダルタニャンもコンスタンスも、諦めてさっさとパリへ帰るのね!
それでは、オ・ルヴォワール」

ミレディーが予告初登場。
上品な口調で視聴者に挨拶するも、ダルタニャンを渡航禁止令で足止めできて、すっかり勝ち誇った口調で高笑い。そして我に返って咳払いするのは、本編でも見られないコミカルなシーン。そして締めの「オ・ルヴォワール」は、何ともセクシーな響きだ。
あと、ダルタニャンのことを「いくら若いとはいえ~」と言ってるのは、自分が若くないことを認めているからだろうか。


■Mousquetaires Journey ~三銃士紀行~■
ルーブル宮殿の西に広がるチュイルリー庭園を紹介。
アンリ4世の義母カトリーヌ・ド・メディシスが作ったイタリア風の庭園で、噴水・迷路・動物園があったという。かつては宮殿もあったが、1831年に焼失したことも説明されている。
映像では庭園北の遊園地にある大観覧車や、そこから見たオルセー美術館パンテオン・モンマルトルの丘・サクレクール寺院を紹介。


(記:2012年9月11日/追記:2020年04月10日)