アニメ三銃士

15話:危険な旅

■放送日:1988年2月12日 / 演出:水谷貴哉 / 作画監督:杉山東夜美

■Story■
パリを旅立ったダルタニャン一行は二手に分かれ、シャンティの街で落ち合うことにした。
その頃、ミレディーは再び客を装いボナシューの元を訪れ、催眠術でダルタニャンの情報を聞き出していた。
リシュリューも一行のイギリス行きを防ぐため、全国の港に封鎖令を出した。


シャンティの街に集まった一行。
ポルトスは一足先に着いていて、旅籠で知り合ったアランという男と食事を共にしていた。
ダルタニャンたちも席を共にするが、アランは乾杯の時にリシュリューを賛美し、国王を侮辱する発言を繰り返す。
それに怒ったポルトスはアランと決闘することになり、独り街に残る。


しかし、ダルタニャンたちが去った途端、ポルトスは銃を持った男達に囲まれる。
アランの正体はリシュリューの部下だったのだ。


胸騒ぎを覚えたダルタニャンが引き返し、ポルトスに加勢する。
さらにアトスとアラミスも引き返し、爆竹と煙幕で敵を混乱させ、窮地を脱した。


■Explanation■
今回はポルトスの当番回
シャンティという地名を聞いて、すぐに名物料理が思い浮かぶとは、中々のグルメぶり。
しかし、そのシャンティでトラブルを起こすことになる。


ゲストキャラのアランが登場。敵側のゲストキャラって、結構珍しい。
旅籠でポルトスと意気投合したかと思いきや、一転してリシュリューを賛美し国王を侮辱する言葉を朗々と語り出す。
ポルトスのケンカ早い性格まで見抜いて、この罠を仕掛けたのならば相当の策士だ。
ハッキリ言って、ロシュフォールやジュサックよりも腕は立つし頭も切れそう。


そんなアランとの対決は、駆けつけたダルタニャン、そしてアトスとアラミスによって「逃げる」形になり、決着は付かないまま終わってしまう。
個人的にはロンドンからパリへの「復路」で、ダルタニャンとアランの再戦を期待していたんだけどね。


ちなみに、劇場版『アラミスの冒険』に登場する敵役ピサロは、キャラデザインがアランに酷似(流用と言うべきか)していて、声も同じ大林隆介さんが演じている。まさにアランのリメイク版と言うべき。


いきなりリシュリューの罠に巻き込まれ、一時は死まで覚悟したダルタニャン。
まだ、旅は始まったばかりだ。


■Dialogue/Monologue■

ポルトス「シャンティか!あそこはマルタンという美味いウサギ料理を食わせる旅籠があるんだ」
ポルトス食べるのは生きている証拠だ。死んだら何も食えないからな」

食に対するこだわりを力説するポルトス。
しかし、今回は「何も食えなくなる」こと死の危機に直面する。

ミレディー「生地よりも私を見て」

ボナシューを呼び出しては、催眠術でダルタニャンたちの情報を聞き出すミレディー。
呼ばれる度にこんなことを言われるなんて、ボナシューが少しだけ羨ましく思えたり。

アラン「では最初の乾杯は、我らが有能にして才知に長けたリシュリュー総理大臣閣下に」
アラン「我がフランスはリシュリュー閣下の頭と腕で持っているようなものだ。陛下など帽子の羽飾りに過ぎない」
アラン「ならばその腹を切り取って、スマートにしてしんぜよう」

アランの名言集。
紳士的な口調から発せられる鋭い言葉の数々が、ダルタニャンたちを罠に追いやる。

ダルタニャン「どうせ死ぬなら、剣を抱いて死のうじゃないか!」
ポルトス「そうとも!銃士の死に方を見せてやろうぜ!」

アランたちに追い詰められて絶体絶命の二人。死に直面しても、この威勢の良さ。


■Next Episode ~次回予告~■

アトス「ロンドンを目指す我々の前に、なおも立ち塞がるリシュリューの罠」
ダルタニャン「大変だ!アラミスが敵の銃弾に倒れた!」
アトス「ダルタニャン!お前はアラミスを連れて先に行くんだ!」
ダルタニャン「しかし、アトス」
アトス「敵は俺とポルトスで食い止める。グズグズしていると、みんなが危なくなるぞ!」
ダルタニャン「わかった!アラミス、頑張れよ。宿に着いたらすぐに手当てしてやるからな」
アトス「次回『アニメ三銃士』《急げ!ダルタニャン》」
ダルタニャン「みんな、また会おう!」

今回はダルタニャンとアトスによる掛け合いの予告。
アラミスが撃たれるというショッキングな内容で、予告からも緊迫感が伝わってくる。


■Mousquetaires Journey ~三銃士紀行~■
ロアールのアンボワーズ城と、その城下町を紹介。
ルイ13世の時代には王弟ガストン(本編にも「反乱を起こした」として名前のみ登場)の居城で、ルイがクーデターを起こすと王母マリーはロレーヌへ逃げたという。また城にある「王のギャラリー」では1560年に大勢の新教徒が殺された「アンボワーズの大虐殺」があったことでも知られている。
レオナルド・ダ・ビンチは晩年をこの地で過ごし、この城に葬られているという。


(記:2012年9月1日/追記:2020年04月10日)