アニメ三銃士

Column14 語ろう!『アニメ三銃士』(久保田P編3)

放送当時にアニメ誌『アニメージュ』にてあらすじと共に毎月掲載されていた、久保田弘プロデューサーのコメント、否、「証言」を紹介する企画の3回目。

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今回のテーマはズバリ「アラミスの運命」。
アニメ三銃士』きっての人気キャラであり、その活躍に大きな注目が集まっていたアラミスについて。久保田Pによるコメントが、ファンの間で思わぬ反響を呼ぶことになった。それは……。


まずは『アニメージュ・1988年6月号』より。

アラミスの運命
アニメージュ』4月号のふろく「麗しのアラミス様」の中で「まだ確定ではないが、アラミスが最終回で修道院に入ることも考えている」と、私がコメントしたところ、アラミスファンの方々から「修道院入りはかわいそう」「女として自立する強いアラミスで終わって」「髪の毛のないツルツル頭のアラミスなんて」など、猛反対の投書が62通殺到しました。この頃の修道院に入っても、髪の毛はそらず、長い髪のままなのですが・・・・・・。
第52回、最終回の脚本は3月に完成し、現在絵コンテ作成の段階ですが、監督、脚本、そして私も、あらためてアラミス・ファンのパワーを再認識しました。
最終回の本篇が終わったあと、いつもの予告の部分で主なキャラクターのその後を紹介して終わるつもりでしたが、アラミスの修道院入りは避ける方向で固まってきています。
アラミス・ファンのみなさん、ご心配をおかけしましたが、とりあえず安心してください。
久保田弘(PD/NHKエンタープライズ

騒動(?)の元になった付録「麗しのアラミス様」については、僕は残念ながら未見。なので修道院入り発言の詳細についても不明。察するに、原作小説のアラミスが僧籍に入ることを願っていて、第1部(『三銃士』)のラストで念願通り修道院入りするのに倣った結末だったのかも。
さらに言えば、女性でありながら男装して銃士になり、剣を取って戦ってきたアラミスに、せめて穏やかなその後を過ごして欲しいという久保田Pの親心だったのかもしれない。


しかし、これには反対意見が寄せられたらしく、この場にて「修道院入りエンド」の中止を宣言。久保田Pにしたらファンから反対の声を、多数の投書という行動で示されたのは予想外だったことが伺える。「ご心配をおかけしました」とか「安心してください」とか、アニメキャラの描き方にしては大袈裟な気もするけど。
これもスタッフの予想を遥かに超えて、アラミスの人気が高まっていることを示した一事例だったりする。


また、今回の一件が原因かは分からないけど、コメントにあった「最終回の本篇後に各キャラのその後を紹介」という企画も変更になり、最終回の本篇後には「首飾り編」までの名場面集がオンエアされるに止まった。
しかし、次々作となる『ふしぎの海のナディア』ではリベンジよろしく「その後を紹介」を実現。メインキャラが結婚したり家族をもうけたりと、幸せなその後を描いて大団円となった。


「皆の熱い要望により、アラミスの修道院入りは回避されました。めでたしめでたし」……で済むかと思いきや、この問題はさらに二転三転することに。
続く『アニメージュ・1988年7月号』ではこんなコメントが……。

アラミスの運命〜その2
アニメージュ』6月号に『アニメ三銃士』の最終回でアラミスが修道院に入るという設定は訂正したい、と書きました。これを読んだ読者の方々から「これで安心して見られる」「ありがとう」という投書が30通ほどよせられました。
ところが、「修道院入りとりやめは絶対反対」「残念です」という投書もほぼ同数到着しているのです。「反対」の投書のひとつをご紹介します。
原作のアラミスが人生を神に捧げた生き方していないので、アニメのアラミスには本来の意味での修道尼になってほしい。また、修道院入りを反対したファンの方たちは、修道者、修道生活について誤ったイメージを持っているのではないか?
「へんくつ」「世捨て人」「暗い」「束縛された」といったものではない。厳しい一面はあるが、神を思い、祈り、弱い者のことを考え、いたわるという生活こそアラミスにふさわしいのではないか。修道女だって女性として自立した生き方のひとつだ、という意見です。
6月10日は国際男子バレーで『三銃士』は休止です。よろしく。
久保田弘(PD/NHKエンタープライズ

誰もが賛成すると思われていた「アラミス修道院入り取り止め」にも、反対するファンが少なからずいたとは、これまた意外な事実が発覚。
確かに原作小説のアラミスは第1部ラストで修道院入りするも、続編では幾多の陰謀を巡らし、時にはダルタニャンとも敵対してしまう。それ故に、原作では実現しなかった「信仰に身を捧げるアラミス」を、ファンは見たかったのかもしれない。


また、紹介された投書の「修道女だって女性として自立した生き方」という意見にあるように、多くのファンが求めているのは「強くて自立したアラミス」だった。それは剣を持って戦うことだけじゃない。戦いが終わったら信仰に生きるのも、新たなアラミスの姿として相応しいのではないか。
理想的な「アラミスのその後」は決して一つではない。それこそファンの数だけ存在していたに違いない。


そんな中、恐らくは多くのファンが最大公約数的に期待していたであろう「理想的なアラミスのその後」が話題に上がるのだけど、それについては次回。