アニメ三銃士

Column01 僕と『アニメ三銃士』〜出会いの章〜

開設記念ということで、記念すべきコラム一作目は、僕と『アニメ三銃士』の出会いから放映当時の諸々の思い出を紹介。


限りなくプライベートな思い出なので、当Blogをご覧の皆さんがどれだけ楽しんで頂けるか分かりませんが、まずは御一読の程を…。

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■ビフォアー『アニメ三銃士
アニメ三銃士』と出会う前の僕について。
漫画は殆ど読んでなくて(別に禁止されていたとかじゃかいけど)、『キン肉マン』や『キャプテン翼』や『ドラゴンボール』や『ハイスクール奇面組』といった作品は、アニメの方で観ていた。そのアニメにしても、ゴールデンタイムとか放送されていた人気の作品を観るという、受動的なファンだった。
そんな当時の僕にとって、数少ない愛読書だったのが学研から発刊されていた「学習」と「科学」シリーズだった。その繋がりで、誌上で紹介されていた学研製作のアニメ『ニルスのふしぎな旅』や『スプーンおばさん』も、よく観ていたっけ。


■出会いは「6年の学習」
それは1987年晩夏、僕の小学校生活も残り少なくなっていた頃。当時読んでいた「6年の学習」で「17世紀のフランスを舞台にしたパワフルな物語がスタート!」というキャッチコピーとともに『アニメ三銃士』のノベライズ連載が始まった。
元々、この手の冒険モノ・史劇モノが好きだったので、一読してハマってしまった。
何度も読み返しながら「この物語が、どんな風にアニメ化されるんだろう?ダルタニャンやジャンやコンスタンスは、どんな声なんだろう?」とワクワクしていたっけ。
そして、アニメの放送が始まったら、リアルタイムで観ているアニメの先の展開が知られる楽しさがあった。そのノベライズは、アニメの物語をだいぶ端折ったり省略していたけれど、それはそれ。
しかし、僕が小学校から卒業するように、ノベライズ版からも卒業の時が来ていた。
物語は「首飾り編」に入り、イギリスを目指すダルタニャンが、カレーの港に着いたものの出航禁止令のために足止めを食らっていた。それが掲載されたのは「6年の学習」の3月号、「ダルタニャンはイギリスに行けるのか?続きはテレビでみてちょーだい!」
学年誌の運命とは言え、こんな強引過ぎる終わり方には随分とショックを受けたっけ。


■アニメ誌との出会い
それは中学入学を控えた春休みのある日。暇を持て余して近所の本屋をブラついていると、一冊の本が目に入った。それはダルタニャン、コンスタンス、そしてアラミスのスリーショットが表紙を飾っている、「アニメディア」というアニメ情報誌だった。
アニメ誌なんて読んだことも、否、そんな本が存在していることすら知らなかった僕にとって、「学習」や「科学」以外の本で『アニメ三銃士』が紹介されていること自体が、途轍もないカルチャーショックだった。
当時のアニメ誌は、20数年も経った今でもお馴染みな「アニメディア」「アニメージュ」「ニュータイプ」の三誌が発行されていた。中でも『三銃士』をよく紹介していたのは、学研つながりで「アニメディア」。また「アニメージュ」(徳間書店)でも、毎号のように紹介されていた。でも「ニュータイプ」(角川書店)は『ガンダム』シリーズなどのSF作品が中心だったので、全く紹介してくれなかったっけ。
ともあれ、『三銃士』が紹介されていたことを切っ掛けにして、僕はアニメ誌を読むようになった。さすがに全誌を毎月買うのは無理があったので、基本的には立ち読みで済ませて(書店の皆さん、ゴメンナサイ)巻頭特集などで多めに紹介している時に絞って買ったりしていた。
そしてアニメ誌を読むことで、それまで漠然としていたアニメへの興味が、爆発的に高まっていった。『三銃士』以外にも、誌上で紹介されている他の作品もチェックするようになったし、アニメを作るには欠かせないスタッフや声優にも興味を持つようになった。


■嗚呼、放送休止
アニメ誌の最新号が発売されると、僕が真っ先にチェックしていたのが「今月の放送予定」だった。あらすじより何より、今月は何回放送されるかが心配だった。そう『アニメ三銃士』は、とにかく放送休止が多かったのだ。
『三銃士』が放送されていた1988年はオリンピックイヤーだった。当時は夏冬のオリンピックが、同年に開催されていて、2月にリレハンメル冬季オリンピックの、9月にはソウルオリンピックの競技中継のために2週間くらい休止されることになった。
他にも、年末年始はもちろん月1ペースで何らかの特番があり、何週も続けて休止することもしばしば。結局、1987年10月にスタートした『アニメ三銃士』が、通常なら1年間で放送する全52話を放送し終えたのは1989年2月。およそ半年分は休止していた計算になるわけか。
ちなみに、この後に放送されたNHKアニメは、『青いブリンク』や『ふしぎの海のナディア』も、そして記憶に新しい『カードキャプターさくら』や『彩雲国物語』も、39話で1シーズン(1年分)になる放送形態が多かった。これは休止続きで1年分のスケジュールを大幅にオーバーした『アニメ三銃士』を反省と教訓にしたものかもしれない。


■全話リアルタイム視聴の奇跡
そんな具合に不定期な放送を強いられた『アニメ三銃士』なので、見逃してしまうことも…それが、何と一回も無かったりする。テレビシリーズ全52話を、それも完全にリアルタイムで視聴完了したのだ。
当時の我が家は昭和の家庭らしく(?)、テレビはリビングに家族共用の1台のみ。しかも、ビデオデッキは持っていなかった。さらに言えば、僕は2人兄弟の弟で、一家におけるチャンネル優先権は最後尾にいる状態だった。
ただでさえ、放送されるのは金曜夜7時半という、ナイター中継もあれば民放各局にも力作番組を投入するであろう時間帯。それでもチャンネル権を譲ることなく、否、『三銃士』に関してはチャンネル権で揉めた記憶は全く無かった。ひょっとしたら『三銃士』には僕だけでなく、家族もハマっていたのかもしれない。
または「家族と一緒にアニメを観る」という行為に抵抗の無かった、ギリギリの年齢だったのかもしれない。そして何より、放送のある日に旅行や学習塾などの用事で出掛けることが、不思議と一回も無かったのだ。
これはもう、巡り合わせが良かったというか、完全に「運命」と言う他に無いかもしれない。


■遠き映画館
テレビシリーズを全話観たからには、完結編である劇場版『アラミスの冒険』も、もちろん観に行きたかった。にも関わらず、結局は劇場に足を運ぶことは無かった。
と言うのも、僕の地元近辺には『アラミスの冒険』の上映館どころか、映画館自体が殆ど無かったのだ(これでも、一応は東京都下なんだけど)。当然、映画館に行った経験も皆無だったわけで、そんな僕にとっては「映画館に行って映画を観る」という行動は、途轍もなくハードルが高いものだった。
さらに言えば、大まかなストーリーは「ミレディーが再登場する」「ジャンが母親と再会する」などネタバレ部分も含めてアニメ誌で知っていたので、「何が何でも観に行こう」という気持ちにならなかったのだ。
公開期間中、学校の遠足で都心へ行った時、偶然にも『アラミスの冒険』を上映している映画館の前を通りかかった。出入口に掲げられている、アラミスの姿が描かれたポスターを目にして、この時ばかりは「あー、今この映画館の中では『アラミスの冒険』を上映しているのか」と、歯痒い思いをしたっけ。
今にして思うと、思い切って映画館に足を運んで『アラミスの冒険』を、そして『アニメ三銃士』が完結を迎えるその瞬間を、この目で見届けるべきだったのかもしれない。


続きはまた次回…